久々に今の心境とか徒然に

一人暮らしを初めてはや14ヶ月。まあ会社の寮生活とか長かったから一人も慣れてるつもりだったし、家事も実家で散々やらされていたので問題無かったんだけども(今はネットで調べればなんでも出て来るし)、それが一年ちょい続いたら想定外のストレスで心身ともにボロボロ、みたいな感じです。

家事が大変、というよりは以前にも書いたけど「全部きちんとやろうとしすぎ」という性格が悪かったみたいで。

さらにぶっちゃけて言うと現状では月々赤字が出ていてそれをボーナスで補填してみたいな感じでして、それをどうにかしないといけないみたいなストレスも結構ある。

最近は嫌な思考に陥りそうになったらすぐ休む(=考えすぎない)癖を付けるようにしてる。おかげで少しづつ氷が溶けていくような感触はあるんだけど、じゃあコレが全部クリアになるのはいつ? って言われたら想像もつかない。

自分ではそう思ってないんだけど、割と「神経質」「拗らせ」「拘り」みたいな印象を受けるとか散々指摘されたのが効いてるのかも知れない。それは多分本体の性分で治らないとは思うんだけども、少なくとも「回りに迷惑」みたいな領域には行かないようにはしたい。

食費なんかは引っ越しして数ヶ月はほとんどコンビニやスーパーで出来合いの物を買って済ませて、その後自炊の比率を増やしていったんだけども、改めて家計簿を見ると自炊をちょっと増やした程度だと全く節約にならないのが分かる。無論「弁当も含めて全部自炊」ならかなり節約できる自信はあるけど、流石にそれをやったら体が持たない。この辺りはもうちょっと考えたい。

あと失敗が怖い、それは誰も同じだと思うけど、オレの場合はちょっと過剰な気もしてきた。「失敗したらそこから勉強する」じゃなくて「失敗したらあとがない」みたいな脅迫概念はまだ少し残ってる。こういう思考は今の若い人のほうが大きいかも知れないよね、なんかTwitterとか見てると特に感じる。

「そんな事言って、散々遊びでいろんなもの買いまくってるだろ」とか言われたら正直返す言葉も無いんですが。依存症だとは思いますよ自分で。そこら辺ももうちょっと自制しないとあかん。無論バッタリ止めたら反動は来るだろうから、時間をかけてどうにかするしかないんだけど。

今怖いのはやっぱり体力の衰えとか、病気とか。あと会社で基本喋らない人なんで(うちの会社は全員そうだが)実家を出てから発声回数が数分の一位に減った感じがする。割と危ういよなコレ。

なんで何らかのコミュニティに属して定期的な会話をする。という必要性がある気がしてきてる。家族であったり趣味仲間であったり。とりあえず一番身近な所で実家に毎週通うことにしたと。母も高齢なんで、実家に母がいる間はずっと通ってた方がいいかも知れないとか思ってる。

本当は家に帰ったら他人にはどうでも良いような話でも聞いてくれる。あるいは逆に他愛のない話を聞かせてくれる人が居たら良いとは思うんだけども、まあそれは自分のエゴを押し付けかねないので難しい話よな。この辺りはちょっといろんな事情も絡んでくるので簡単には言えないのです。

まずは…心配事を少しずつクリアしていくのが先かな。そして日常的なルーティンを効率よくこなして自由時間を増やすと。一人暮らしして一年目くらいでそこまで行けるかと思ったけどまだまだ甘いようで。

一番マズイのは最近は帰宅した後に体力を使い果たしてグッタリして何も出来なくなる(食事する事すら億劫になる)事なんだが、実家に相談したら「年齢的にそういうもんだ」とか言われて、いやいくらなんでもちょっと違うとは思うんだけども。

[心境]先に逝っちまったアイツ

2009年8月13日夜、オレはお台場ガンダムの屋台前にあるベンチで座って一休みしていた。ライトアップされたガンダムはそれはもう「異質感」がもの凄かった。昼間にも一回来て見たのだが、夜のガンダムはまた違って見えて「思い切って東京に来て良かったなー」とつくづく思っていた。なにせ実際に行くと決めたの前日だし。

ここでふとiPhoneを見ると電話の着信があった事に気づく、時間は20分ほど前、ガンダムに浮かれて気づいてなかった様だ。相手は高校からの親友だが、ここ数年は滅多に話す機会も無い奴。「何故今頃電話が?」と思いつつこちらから電話をかける。

…釧路在住の友人が自殺した、と奴は言った。既に死亡から一ヶ月以上経ってからの発見だとも。

言っている内容は理解出来るのだが、あまりに現実感が無い。目の前には等身大ガンダムが立っている。視覚的にも聴覚的にも現実感がもの凄く希薄だ。ベクトル方向は正反対だが「信じられない」という思いが視覚と聴覚から両方に一気に襲ってくる。

そのときにはまだ詳しい情報が入ってなかったのだが、実際には既に通夜が始まっていて翌日は葬儀だったとのこと。形式としては「友人葬」、まぁ一種の密葬みたいなもんだろう。電話を聞いた時点ではいつ通夜が始まるかすら判らないし、「友人葬」でやるという事しか聞いてないので速攻で戻って通夜なり葬儀に参加するのも不可能に近い。そもそも身内の電話番号を知らないし、正直今このタイミングでかけるのもキツイ。

まるで現実感の無いままに、別の友人に電話をしたが留守電だった。伝言ゲーム状態になったらアレなので「詳細はXXに聞いてくれ」とオレに電話してくれた友人にかけるよう吹き込んでおいた。

しばらく動きたくたくない気分だったが、動かない事にはホテルに戻って体を休める事も出来ない。重たい体を引きずる様にホテルに戻った。思う事はあるのだが全然実感が湧かない。

翌日はコミケ一日目のサークル参加で、話を聞いたサークル主からは「通夜とかあればそちらを最優先して下さい」という有り難い言葉も受け取ったのだが、何にしろ今は通夜の日時も全然判らないので予定通りコミケに行く位しか出来ない。仕方ないので明日の準備をして就寝。

…眠れない。ふと思い立ってmixiを見てみたらそこにはアイツの遺書があった。正確に言うとmixiで自殺直前に本人が非公開の日記を書いて、遺書に「某氏はコレを見たら日記を全体公開にしてくれ」と有ったので、それで某氏が日記の設定を変えてようやく日の目に出たと言う事らしい。

そこにある内容は、納得出来る様でいて到底納得出来ない物であった。矛盾してるが全くその通りだ。それが理由になるのか? そこは行間を読め、という事なんだろう。心当たりが無い事もないのだが、あまりに急すぎる。「置いていかれる」というのはまさにこういう事か、と思った。その後悶々としつつも無理矢理寝る。

8月14日朝、普通にコミケ一日目のサークル参加。とは言っても「生まれて初めての本コミケでかつサークル参加」なので色々刺激的である。そのことが逆に辛い事を考えなくて済む。

コミケ開場、サークルの新刊が妙に売れ行きが良くて結構忙しい。休憩を取って周りを歩いても色々と新鮮で(コミケってサークル参加だと割と楽)刺激的ではある。携帯はSBMという事もあり電波がサッパリ入らない、事前情報の通り。

昼近くに余裕も出来たので、歩き回ったついでにちょっと外に出てみると電波が繋がったようで電話が入ってきた。昨日の件で一気にお祭り状態から現実に引き戻される。立て続けに電話を貰ったがやはり昨日入ってきた以上の情報がサッパリ無い。みな当惑しているようだ。

それにしてもこんだけシリアスな内容の電話の締めに「ビッグサイトに居るんだったら本を買ってきてくれない?」とか連続して言うなや(汗) おかげでちょっと救われた感もあるのだが。

そんな中、一人珍しい人から電話がかかってきて「こっちに来てるんでしょ」とか言われた。へ?いや「ビッグサイトに居るんだって?」って誰だよそこまで情報漏らしてるの(汗)というかいつの間に東京に居るんだアンタは(後に理由判明、割愛)「今晩弔い酒やらない?」と言われたが、予定が入ってるので丁重にお断りする。というか飲めない。そういう理由で飲んだら酷い事になるのが目に見えてる。

そいつから「あんたも勝手に死んだら許さない」と言われて、「あぁまったくその通りだ」と思った、同時にちょっと泣きそうになった。それはオレが今抱いている感情そのものじゃないか。逆にそう言ってくれる人が居る事が有り難い。しかし「勝手に死ぬなんて許さない」なんて、それこそ死んだアイツが一番言われそうな言葉なのだが、それくらい人望があったというのに。

その後はまぁ普通に、何しろ情報がサッパリ入って来ないので行動の取りようがないのだ。ので色々と予定していたイベントをこなすなどする。アイツの話が無かったら躁状態に入って酷い事になってた気もするのだが、この件があったので割と普通に物事が進んでしまったような気もする。実際どうだか分かんないけど。

そんな訳でそのまま札幌に戻る。アイツの件で電話があったらマズイので家族に事の詳細を話す。意外に冷静に話してる自分にちょっと驚いたり。まだ現実的に見てない証拠なのだろうか。

札幌に戻ってきてからも何回か友人から電話、なんか「アイツのPCの中身をオレが処分する」みたいな話を聞いてオイオイと思う。完全消去するのはいいけど、正直中身なんて見たくねーよ…。

ここで意を決して、例の遺書を代理公開した人にmixiで事の詳細をメッセージで送る。幸い返事はすぐ帰ってきて「地元の友人で後始末をやってるので何もしなくてOK」との事。例を言って、さらに身内の連絡先も判ったのでそちらにもメッセージを送っておく。札幌への無言の帰宅は8月21日となったらしい。

さらに8月の最終週、「8月30日に『送る会』を某斎場でやるから」という連絡が入る。当然参加。

そして当日。遺影にはアイツの顔、周りには遺品、中央には遺骨。この辺りでやっと実感が湧いてくる、アイツはもう居ないのだな、と。参加者の顔ぶれを見てると泣いている人はどちらかというと身内で、友人関係はどちらかと言うと険しい顔をしているのが気になった。多分オレも険しい顔だったのだろう。

一通りの儀式が済み、休憩所で久々に友人と語る。中には10年以上会ってない奴らも居て懐かしい。誰もあまり悲壮そうには見えない。多分オレと同じ気分なのだろう。といきなり老人の男性に声をかけられて驚いたらなんと高校の担任であった。正直「ご存命でありましたか!」と言いかけたのはナイショだ。ご健啖で何より。

その後半分以上の友人が帰り、残った面子で食事会。オレはいわゆる「友人」テーブル。ここでようやく友人の遺体が発見された経緯を知る。それはなんというか友人が「もう死んで一ヶ月経ってるんだからいい加減発見しろ!」と言ってるような、妙な天の声のような出来事でちょっと笑ってしまった。こういう事もあるもんだなと。

友人テーブルでは終始昔話で笑いが耐えなかった。だってそうだろう、楽しい想い出ばっかりだもの。とりあえず誰かが不慮の事故やらなにやらであちらの世界に行ってアイツに会えたら「まずは一発ぶん殴る」という事に意見が一致、その前に既に亡くなったお世話になった方々から「お前コッチに来るの早すぎるんだよ」とか言われてボコボコにされてる可能性も大だが。

とりあえず一発殴った後はゆっくり話を聞いてやろうと思う。

その後は遺族の方と遺品を見て色々と想い出話。最後に線香を上げてお開きとなった。毎回言ってる事なんだけど、とかく葬式くらいしか友人が集まらないのだよね…、結婚しても披露宴やらないのが割とフツーになりつつあるし。みな忙しいのは判るけどちょっと寂しい。

そんな訳でこの話は終了である。個人的な推測ではあるが、友人間に共通してるのは「オレに何の断りも無しに勝手に死にやがって!」という想いでは無かろうか。そりゃ事故や病気じゃ仕方ないけど、自殺だったらナンボでも話を聞いてやるし、実際オレは昔出張のついでにわざわざ会いに行った事もあるかんね…。

でもその一方で「死ぬ事を選択した」という事について今更意義を挟む気にもなれない。いや挟みたいんだけどもう手遅れだしな。せめて「選択した」という事実だけは分かってやりたい。そんな気分。少なくともオレは今「自ら命を絶つ」なんて選択肢はどこを振っても出てこない、アイツには出てきた。そういう事は考慮すべきだろう。

そんなオレはアイツの死に対してほとんど泣いてないのです。これを書いてる時点で少し目が潤んでるくらいで、どちらかというと「アイツはまったくもう!」という気分しかない。人はそのうち死ぬ。「どうやって死ぬか」ってのがもう早速に見えてきているので(アラサーで死ぬ人も増えて来たし)そういった事にある程度理解が出来てるのかも知れない。

そういった意味で「自殺」はねえだろうと。それを選んじゃった時点で泣いてやらねえよ、という気分ですか。

いつか号泣するかも知れないけど、まぁとりあえずはサラバだ。それ以外に言う事はないし、言える事もない。願わくばアイツがこれ以上苦しまずに済みます様に。

ところで日本での「自殺者数」は年間三万人の状態がずーっと横ばいで、一方「不審死」が年々増えているという妙な状況になっているそうだが(つまり実際の「自殺者」そのものは現在かなりの数に上っている可能性がある)アイツはどっちにカウントされたんだろうか…。

[心境]昔は本当に貧乏だったらしい家庭に住んでた人の独り言

植木等氏の訃報ネタで書いてたら長くなっちゃったのでエントリを分けとく。

今の世の中は昔に比べて幸せなのか、豊かなのか。精神的な話に関しては客観的判断が非常に難しいので、経済についてのみのお話。

日本高度成長期の話なんかを聞くと一見景気良く聞こえるが、実態は「田舎から出てきた学生(この時点で本人は仕事の内容すら知らない)を安い賃金で働かせる」なんて事も珍しく無かったようで、そこから「学歴絶対主義」というものが生まれたんだと思う(適当な推測)、それに比べりゃ今はまだ職業選択の自由があるからいいよな、失業率も下がってる…って大抵は人材派遣会社のおかげだから微妙だが。

「ハケンの品格」も「派遣会社の実態はこうで、あれはフィクションだから」と冷静に見られれば(オレはこっちサイド)別に気にもせんのだが、実際に派遣会社で深刻な事態にあってる人からすれば「あんなもの放送自体が侮辱だ」ってな事にもなってる。前の職場のオレだったら冷静では居られなかったかも。突然準備も無しに四日間泊り込みで仕事(当然夜は椅子寝だ)とかやってみれば判る。

逆に言えばこういう世の中だからニートが出るのも当たり前なんだよね、働かなくても喰っていけちゃうんだし。ある意味で経済社会的には「健全な状況」ではある。「金が無くて職業にも就けないから犯罪に手を染める」なんて選択肢を取る人はまだ少ないはずだし、増えてるのは確実なんだけどさ。

今や「給食費の不払い」や「積み立て金未納のため修学旅行に行けない」というのが話題になってるが、それ自体はずいぶん昔から当たり前にあった。ただ昔は純粋に「貧乏だから」という理由で払えなかっただけで、今の「払いたくない」というバカと一緒にされても困るが。

「義務教育」というのは「親が子供に教育を受けさせる義務も包括してるから給食費は払う必要がある」とちゃんとバカ親に言えよ。「本当に貧乏で払えない」「払わない代わりに弁当を持たせる」という選択肢はあってもいいけど、「払いたくないから払わない」んなら学校側は「食わせる義務」も無い。

これで子供が栄養失調や苛めにでもあったら、その時点で保護者による児童虐待扱いにしとけばいいのだ。それ以前に「給食費を前払い制にして、給食袋を子供に持たせる」事で未納が凄く減った、とかの話もあるので、そういう努力もやるべきだけどね。

「お金は貯めると根性悪くなるわよ」ってのは故淡谷のり子氏が美川憲一氏に言った言葉だったか、けだし名言である。貯金そのものは悪くないし、度を越さなければ美徳だとも思うが、「根性悪くなる」という言葉の意味は深く心に刻んでおくべきですな。等と自分にも言い聞かせたりして。

[心境]2006年総括

公的な話になると終わらないので、あくまで私的なネタだけで。

○な出来事

– とりあえず仕事が一年持った
– 自分のペースで仕事出来た、つーか残業無さ杉
– 念願のGDB購入、やっぱMTは良い
– ねんがんの カラーXYモニターを てにいれたぞ!
– デジタル放送の録画&キャプチャ環境を揃えた、地上デジタルはかなりガッカリだが
– マシンが二台ともデュアルコア+WinXPになった、まだPCって快適に出来るのね
– 色々な本とかで新たな方面の知識を開いた(良い面ばかりとも限らんけど)

×な出来事

– 新しく入った後輩がかなり出来る奴で、最近社内での自分の立場が危うい気がする(汗
– 正直、金使いすぎです
– 友人が結婚とかで疎遠になっていく事に一抹の寂しさを感じる
– 「自分はまっとうに大人としてどうよ?」みたいな出来事があって色々と考えさせられる事多し
– Q4は体調崩しまくり
– ボーナスが夏冬ともにorz

まぁ、全般的に見れば悪くないけど特別良くも無いような。

物理的には結構満たされたんだけど、精神的に満たされないというのが辛く感じる時もあり。と言ったら贅沢なんだろうなぁ。

物欲ネタもかなり尽きてきたので、来年はもうちょい精神面での充実を望みたい所である。

[心境]理屈っぽさ

ふと姉貴とTVを見ていて、お互いの意見の些細な違いから「あんたは本当に理屈っぽい」と言われてちょっとショボンとする。

いや自分が理屈っぽいという自覚は既にあるし、そもそもこの日記の過去ログがその証拠でもあるし(念の為書いておくが過去の日記はあくまで「過去の自分がその時に感じた事を書いた」代物であって今現在のオレの意見と必ずしも一致はしない、というその説明で十分理屈っぽいですな)、自分でも最近はあまり言わないように気をつけてたんだけど、そう改めて言い切られるとガックリくるなぁ。

しかし理屈と感情が別物である事位は判っているつもりだ、同時にそれがおそらく一生付いて回る一番の悩み事だったりもするのだが。感情だけで行動するよりはマシじゃね?とか思いつつ適度なバランス感を今後も探求して生きたいココロ。

ちなみにうさうさ脳だと「ささ脳」でした、また妙に合ってる辺りが嫌だなコレ。

後日訂正:無意識に腕を組んで気が付いたが正確には「さう脳」な模様、どっちにしろ解説の中身はアレだ。

[心境]正社員になれた…はず

先月一杯で半年間の試用期間が終わりました。なので現在正社員な筈です。でも辞令が出てないから判んないんだよね、本社に出張中の部長が戻ってきたら判るとは思うけど。まぁ小さい会社ですから。そんないい加減さがちょっと心地良かったりもして。

折りしも先日「求人倍率が1.0超え」なんて報道があった。でも求人倍率ってのは求職活動をしている人に対する求職数の比率な訳で(同時に完全失業率も「失業中で求職活動をしている人の比率」)なので、そもそも求職活動をしてない奴は勘定に入らないんだよな。それを差し引いても実際には「マージンを搾取するだけの派遣会社」が増えただけじゃねーの? って感じはする。実際「正社員の求人倍率」は0.6位みたいだし。

こんな状況に至っても北海道の求人倍率は0.63位らしく、本気でシャレにならない状況。

そんな中でココロに負い目がありながら転職活動を続けて、数ヶ月程度で(多分)ちゃんとした所が見つかって、年収まで上がっちゃって残業時間は遥かに減ってしまって。

こう考えると自分は本当に運が良かったのだなぁ、と思う。縁があった、と言い換えてもいいかな。

会社に全く不満が無いわけでも無いけど、「全く不満の無い職場」なんて存在しないだろうし、あったらそれはそれで極めて居心地悪いのでは無いのか、なんて思ったりして。少なくとも「我慢なら無い事」が無ければオレ的には無問題。

将来がどうなるかはサッパリ判らないけど、ま、とりあえず肩の力を抜きつつ色々と来るであろう波を乗り越えていこうかと。出来ればちょっと辛い時に寄りかかれる存在(人とは限らない)があればいいかなぁとは思うけど、闇雲に探しても見つかるモンでもなかろうし、じっくり待つって事で。オレ自身が寄りかかれる存在に相応しいとは思えてないしな、無理してそうなる必要も無い。

なにが書きたいのか良く判らなくなってきたが、まぁ「自然体で」「悲観と楽観を織り交ぜつつ」のほほんと生きていこうかと。ケ・セラ・セラ、なるようになるさ。

昨年の総括と今年の抱負とか

そいや書こうとして書き忘れてたな、今更ながら簡単にまとめてみる。

年末年始にかけて昨年分の日記を全部読み直したんだが、

– Q1:心理的にすげぇ不安定、体調もかなりアレ
– Q2:転職活動開始、現実の壁にかなりメゲつつも奇跡的に内定ゲット
– Q3:前職場の退職と新職場への入社。緊張しまくり。
– Q4:慣れてきて調子のりまくり

てな感じか。思えば「転職なんてうまく行かなくて当たり前」なんて考えてたから、今のほとんど不満の無い職場に入れたのは本当に運が良かったと思ってる。というか前の職場だと転勤食らってる可能性大。

退職金も思ったより出たし、そういう意味では凄く恵まれてたと。

逆に昨年がうまく行き過ぎた感すらあるので、今年はその反動が出ないかどうかが不安だったりする。現状を維持しつつ色々少しづつ良くしていければ万事OKかな。上を見ればキリが無いので、せめて落ちないように気を付けたいと。

色々と書きたいことはあるのだが(ネットやヲタの立ち位置が極端に変わった事とか)、とりあえずひとまず胸にしまっておく。あぁ明日から仕事初めだけど行きたくねぇなぁ(ぉぃ

[心境]ここ最近の心境

本屋でコミックビームの「御緩漫玉日記(桜玉吉)」を立ち読みして、なんつーか色んな意味で切なくなる。トク子ちゃんというキャラは色んな意味でズルイ。

ここで気付いたが最近の心境は「憂鬱」でなくて「寂しい」という方がしっくりくる。何をやっても考えても虚無感が先に来てしまうという、そんな状況。

本来「人」は寂しいもんだと思うが、この歳でそんな極地になってもなぁ。何かのために出来る事があればそういった寂しさから逃れられるものだろうか、そういうモノを持っている人はそれ自体を幸せに思うべきかなとも、思う。考えすぎか。

どっちにしろもう少し回復しないと社会復帰は無理っぽい。黙っててもどうにかなるもんじゃないので何かアクションは起こしたい所だけどもね。どこかにネタが転がってないもんか、オレが見落としてるだけなのか。

[心境]通院と最近の心境

いつもよりはまともな時間に起床。まだ冷え込みが厳しいらしいので今日もスポーツクラブは諦めて、代わりに病院へ行く事にする。今日は午前中しかやってないし。

…相変わらず待ち時間長いのは辛いな、最近は予め雑誌とか買って暇潰してるんだが二時間ともなるとハードカバー本でもないと暇潰し辛いぞ。そしていつものように診察、ついでに全然直らない風邪も薬を5日分ほど貰っておいた。

最近はF1から帰った後にかなり心がすっぽ抜けた時期があったのだが、それをなんとか突破してかなり鬱状態から抜けたかな? って感じがする、でも相変わらずうっかりするとドカンと落ち込んだりもするから完調とも言えんが。

んでちょいと今後の身の振り方とか色々考えてたり。遅くとも来年の春までには何らかの行動を起こしておかないとまずそうだし。理想通りに行くなんてちっとも思ってもいないけど、理想を追い求める事が悪い事なんて事もちっとも悪い事じゃあないと思っている。少なくとも行動しなきゃ進歩はしない。その位なら前向きに考えられる…、位には復帰してるという事ですかね。

しかし最近は眠くて仕方なくて、会社勤めで忙しい人には申し訳ないが夜寝+昼寝で一日平均12時間前後は寝てる気が。その事を主治医に相談したら「冬眠前の動物としての本能ですよ」とか言われた。…これは進化してるか退化してるかどっちなんだろうか(汗)

帰る頃には太陽も出てきてすっかり暖かくなったので、帰宅後にスポーツクラブに行こうかとも思ったが無理して行く事も無いと思ったので今日はのんびりすることに。無理に行こうと考えると病気悪化しそうだし。