[クルマ]トヨタ2000GTとニッサン2000GT(A550X)、そしてトヨタJP6

2018-05-06追記:なんかコメントが来るようになったので注記。このエントリに関しては公開直後に某有名所に完全否定されております、その事については完全に論破されてぐうの根も出ないんですが、まあこういう妄想をしてたよ、って意味で残してあります。妄想よ妄想

ちょいと前に気になって色々調べたネタ、と言ってもネットのネタをつまみ食いしただけで真偽の程は非常に怪しいです。最初に謝っておく。

まず「トヨタ2000GT」という名車があった。トヨタの歴史において綺羅星のように輝く存在。正直当時のトヨタになんであんなクルマが作れたのか謎、と思われる程でw。まずヤマハとの共同設計なのはトヨタも認めてる所で、事実上「ヤマハ2000GT」だったなんて話が大分昔から言われてた話。

それに個人的に楔が打ち込まれたのが福野礼一郎の「カーインプレコミック」に収録された「トヨタ2000GTの隠された秘密」(現在は「福野礼一郎クルマンガ (1)」に収録)に記述された「ニッサンがヤマハに設計を持ち込み、ポシャったあとにトヨタに持ち込んで製品化、デザイナーはアレブレヒト・ゲルツ氏」という説。

ここには

> 自動車評論家の山口京一氏は、なんとそのゲルツ氏から直接、確かにのちのトヨタ2000GT=ヤマハ・スポーツ説を裏付ける重要な証言を得ている。

とある。まぁ説得力はある文章ですな。海外でもこの説は有力だった。

ニッサンがヤマハに設計を持ち込んだクルマはプロトタイプが三台作られた、これが所謂「A550X」プロジェクトである。そこのデザインにゲルツ氏が関わってるからこのような説が出てきた訳だ。

先日読んだ書籍「レーサーの死」にも下記の話が出てくる。

> 日産が描いた図面を元にして作ったのがトヨタ2000GTだった。
> この話は当時の第7技術部に在籍していたトヨタの技術者ですら認めており、一九六六年に初めてレースに参加したとき、日産の技術者がトヨタのピットに顔を出し、
> 「おまえら、クルマが壊れたらウチで直してやろうか」
> とからかっていたものだ。

しかし(何故か)21世紀に入ってトヨタのデザイナーである野崎喩氏のデザインスケッチが公開されて「トヨタ2000GT=野崎デザイン説」が出てくる。確かにあちこちで見るA550Xのプロトタイプはあまりトヨタ2000GTに似ていない。

で、この辺りの話は有名所の「三妻自工 Blog」さん所で詳しく解説している。ここではA550Xとトヨタ2000GTの繋がりはほとんど無いと主調されている。

(三妻自工 Blog: Nissan 2000GT(A550X)の真実)
(三妻自工 Blog: TOYOTA 2000GTの真実)

しかし個人的に気になったのは「本当にトヨタ2000GTがA550Xと無関係か?」という話。「三妻自工 Blog」さんではトヨタ側の資料を元にして解説してるが、そもそもロータス・エランをお手本にしたと思われるバックボーンフレーム方式や、ホイールベース・トレッド数値とかがトヨタ2000GTとA550Xとで非常に似通ってる部分については全く言及されてないのが気になる。

で、別の所で見つけた記事、ちょいとソースが古いが

(乗り物図鑑:日産2000GTの真実)

ここにイラストで載ってるA550Xプロトタイプは、形こそトヨタ2000GTとは違うが「トヨタ2000GTと同じ形状の整備パネルがある」って部分が激しく気になる。多分この整備パネルの位置は車体構造から出てきた位置である。なんか矛盾してないかコレ?

で、トヨタ側資料で一番信用が置けないのは「全く持って個人的な意見」で申し訳ないがw、プロジェクトリーダーがあの「河野二郎氏」って事だろう。後にトヨタのレース部門責任者となる氏は福沢幸雄のテスト中事故死において「証拠隠滅及び偽造、及びドライバーの操作ミスによる事故を主調」、川合稔のテスト中事故死においてもマシン側に問題があった疑いが強いにも関わらず「ドライバーの操作ミス」で全て片付けてしまった人物である。所謂「会社の利益になるなら喜んで」みたいな人に見えますね、度が過ぎてるとは思うが。

当時のトヨタといえば本当かどうかはともかく、ニッサンが自社でレース用エンジンを自社設計した時代にフォードやらDFVをコピー&スケールダウンしてトヨタ7に載せたって話もある。実際昔のトヨタには海外製コピーエンジンが多い(2TG=アルファ・ツインカムとか共通部品が一杯だったり)、まぁこれはトヨタに限った事じゃないけど。

そんな中で、この河野氏がリーダーの中で「タッグマッチ方式によりたった三ヶ月で1/5サイズの全体図が完成、強度計算まで完了。でも基本構造はA550Xそっくり」って言われても「はいそーですか」と信じられるほど個人的にはお人良しではない。

個人的な見解をまとめると

– ニッサンがヤマハに企画を持ち込みA550Xを設計、ゲルツ氏は少なくともデザインになんらかの形で関わっている
– トヨタ2000GTの基本設計とA550Xの基本設計は「たまたま」で済まされないほど類似している、A550Xのプロトタイプデザインに似通った部分もある事から全く無関係というのは信じがたい
– トヨタ2000GTのボディデザインはトヨタの野崎喩氏で間違いは無い
– よってトヨタ2000GTは基本設計はA550Xが元になっており、そこに野崎喩氏デザインのボディを載せた代物である可能性が大。

…こんな所か。実際の所、すでに当時の最高責任者が他界しているだろう現在では真実は判らないと思う。そもそも「自分が真実を見た」と言う証言も、「嘘では無いが真実ではない」可能性があるのだ。

ただ「トヨタ2000GT」自体には罪は無い。アレがどこの誰が設計して、どこが生産して、どこが売ったにも関わらず「名車である」ことは揺るぎの無い事実だろう。個人的にはそれでいいんじゃないかと思ってる。「トヨタ2000GTの亡霊」に魂を縛り付けられたまんまじゃダメだと思うけどな。


### トヨタJP6(J6)

ここから先はちょっとオマケ。ヤマハの袋井テストコースの完工式翌日に起こった福沢幸雄の事故死について。

事故車は書籍「レーサーの死」では「ルマン参戦用に制作されたトヨタ7のクローズドボディ版」となっているが、近年は謎の一台の「トヨタJP6」というマシンでは無かったのか? という説が出ている。どっちにしろ事故車はトヨタによって証拠隠滅されたので真偽の程は確かではない。ここん所を最初に書いておく。

で、トヨタJP6ってのがどのようなクルマだったのか、と言う事については調べがついている。「日野サムライ・プロト」の設計者でもあるピート・ブロック氏がワンオフで制作し、その後トヨタに売却したのがそれである。ソースによってJ6とJP6両方の型番がついてるのがややこしいが同一であることに注意。

(日野コンテッサ&日野サムライ:ピート・ブロック(Peter Brock)物語)

で、このトヨタJ6がどのような経緯で日本に来たのか、あるいは福沢幸雄の事故車との関連は同ホームページに興味深い話が載っている

(J-6と呼ばれるプロトタイプ…..)
(JP6&福沢幸雄選手について)

どう見てもヤマハのテストコースでJP6が走ってますな…。グループ6カテゴリに合わせてトヨタ7をクローズドルーフにしたトヨタ6というのも実存したらしいが、前述の記事通りだとすると福沢の載ってたクルマはJP6である可能性がかなり高い。

そもそも、トヨタの河野氏は事故当時に「事故車」としてオープンボディのトヨタ7の資料を提出してたから、もうその時点で色々ダメなんだけどさ。

ちなみにJP6の記事は海外の有名トヨタ2000GTサイトでも記載されている。フランス語なんで読むの辛くて(French->Japanese翻訳ってのが見つからなくて、一回Englishを通さないとダメ)、正確な翻訳ができないのがナニだが。

(Toyota 2000GT)

これでトヨタが「成績に関係なくきちんとレースに参加している」なら別にかまわんのだが、実際には第一回日本GPの頃(市販車まんまで参加するという事前の協定を破ってメーカーチューン車を持ち込み)からあらゆるカテゴリを経て今のF1(フェラーリのスパイ容疑に有罪判決)までずーっとアレだしな、第二回日本GPの「式場のポルシェ904と生沢のスカイライン2000GT-Bの死闘(後にドライバー同士の申し合わせがあった事が判明)も、式場にポルシェ904を買い与えたのがトヨタって話もあるんだが…ここまで来ると事実もナニもわかったもんじゃないなぁw

まぁ世の中には事実上TWRに丸投げした日産のR390、プジョーの設計者をヘッドハントして作ったトヨタのTS020を「日本の誇り」とか思っちゃう人も居るし。そういった人とは悪いけどオレは相容れないなぁ。

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