2025年01月02日(木)の日常

昨晩は日付が変わる直前に寝て9時過ぎに起床。今朝のメニューは昨日と同じで、雑煮に餅二個、汁粉に餅一個の合計三個でフィニッシュ。

にしても実家のヌルい空気は色々と危険、家事はほとんど姉貴がやってくれる。あまりに申し訳ないので結構手伝ったけど、ずっと実家住まいの兄貴は全然手伝わず。これ老後は大丈夫なんか。

後片付けをして10時過ぎに自宅を離脱。久々の自宅は気が楽。年末放送分の「孤独のグルメ 大晦日SP」をTorne Mobileで視聴しつつダラダラと。

しばらくサボっていたTimeMachineのバックアップをするためにUSB-Cハブから外していたHDDを繋げたら、HDDを取り外してから発生していなかったUSBオーディオが切断されてしまう現象が発生。つまりはHDDがUSB-Cハブの電力を食い過ぎてるのねこれ。HDDを外してもUSBオーディオを挿し直しても復帰せず、結局HDDを外してUSBーCハブの挿し直しで復旧。

今使ってるM1 MBAは本体に外部接続ポートがUSB-Cx2しかなく、片方をモニタに接続するともう片方のポートで給電もやらないとダメ。USB-CハブのPD入力からMBA本体への給電は出来ているのだがUSB-Cハブへの電源供給はしてないっぽい。調べたけど「PD入力からPC本体とハブ両方に電源を供給する」USB-Cハブは存在していない模様。

色々考えたけどM1 MBAの今の構成からHDDを繋げるのは無理っぽい。MBAもM2以降は給電用MagSafeがあるので、そこから本体に電源を供給してUSB-Cハブはセルフパワー式のを使えば大丈夫。でもそのためだけにMBAを買い替えるのは流石にアレ。

繋げているHDDはTimeMachineバックアップ用なので、バックアップ時以外はHDDを接続しないことで回避しておく。SSDだったら大丈夫なら2TBくらいのSSDを買うんだけども、それでダメだったら精神的ダメージがデカいし。

ただ今回の帰省にMBAを持っていたのだけども、持ち歩けるサイズと重さなのに自宅とモニタサイズ以外は遜色ない速度で持ち出せるのはやはり凄いとは思う。次はMBPがいいなとは思ってるけど、デカいのと重いのはちょっとな。

「孤独のグルメ」が終わった後は録画しておいた「紅白歌合戦」を見る、REGZAにてBS4Kで録画していたのでソファに移動してREGZAで再生開始、5.1chなのでAVアンプ経由のサラウンド環境で見る。ついでに家からもらってきた「かもめの玉子」を食べたり。

TLで「ナムコ黄金期とはいつか」という荒れるネタが流れていた。「ナムコがオンリーワンであった時代」という扱いであれば「SYSTEM86が出る直前まで」かなあ。SYSTEM86以降はいいメーカーだけど「特別感」はかなり薄れたと思う。

紅白は一部不満もあったりしたが(特に余興パートの歌唱力がひどい)、なんだかんだ言って全部きっちり見た。ただずっとソファに座ってたら肩こりがひどい。風呂と軽い晩ごはんを済ませた後はダラダラと。

「今の時代にアセンブラを理解する是非」の話があった。アセンブラをやってるとポインタ概念は理解は出来るけど、ポインタ記述が出来るのとはまた別だし、新し目の言語のモダンな書き方が出来るかどうかもまた別なんだよね。

学習させるんだったらやっぱり「買いたプログラムで動いている様子が面白い」ってのが要求されるけど、そういう意味でアセンブラだと学習用としてはかなり弱い。初心者だとLEDをチカチカさせるくらいが精一杯だし。

今思うとファミリーベーシックの「グラフィックなどの各種リソースが最初から用意されてる(でもそれ以外使えない)」って学習用としてはいい仕様だったんだな、メモリ容量以外は。

その一方でこんなエントリが紹介されてた。FORTRANが一番早い世界面白い、こう言うところまで行くとアセンブラやってて良かったって話になるんだろうけど、そこまで行ける人は相当少ないし、そう言う人は勝手にアセンブラを勉強していそうだし。

HPCプログラマの書くコードってなんで古臭いの?

紅白出演をきっかけに「B’zは昔ダサかった」「かってのサブカル界隈ではみんなが聞いてるものをダサいとこき下ろす風潮があった」とか色々と出てきてめっちゃ面白い。「初期のB’zは和製エアロスミスとか言われてて洋楽派からは嫌われてた」とかの情報も必要ではないのか。

ただ全て「過去の話」であります。「ウルトラソウル」辺りはすでにそう言う話も無かった気はする。

興味深いエントリが話題になっていた。ただ生成AIによる翻訳が商業ペースに乗ってきたのは「自分のマイノリティな主張を翻訳する際に原文にないのに乗せてしまう」バカが多数居たのも原因の一つよね、そう考えると色々ね。あとシンプルにこのnoteは主張の割に長すぎるよ。

もうすぐ消滅するという人間の翻訳について|平野暁人

画像生成AIも音楽生成AIも、なんか最後の壁を破れてない感はある。なんつうか「他人の絵のパクリをしている人は決して本家を越えられない」みたいな。本家の人は線一つにそれまで積み重ねてきた意味があるのだけども、模倣している人は「本家の人が引きそうな線を描いてるだけ」にすぎない。今の生成AIに感じる違和感は全部コレだと思う。

そういった意味では全てがすぐに生成AIに乗っ取られるような心配をする必要はない気はしてる。ただ「うまくAIを使いこなせないと生き残れない」と言うのはありそう。

本日のネタ。MSX2のVRAM64KB機種、MB-H3以外にもあるんだ。

VRAM64KのMSX2|drepoxy

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