[書籍]散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道(梯 久美子)

うちの姉貴が「いい本だよー」って言うので借りて読んでみる、なんか旬のベストセラーらしいし。どうやら例のイーストウッド映画の日本サイド版「硫黄島からの手紙」の脚本にもかなり影響大っぽい。

散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道
梯 久美子
新潮社
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ちなみに米国サイド版「父親たちの星条旗」はこっち、最近単行本化されて読みやすくなった。

父親たちの星条旗
父親たちの星条旗

posted with amazlet on 06.11.04
ジェームズ・ブラッドレー 大島 英美
イースト・プレス

ただオリジナルのタイトルは「硫黄島の星条旗」、タイトルの変更の仕方がちょっと気にはなるな。買うなら「父親たちの星条旗」の方がいいと思うが、こっちにはカスタマーレビューが載ってるのでリンクを貼っておく。図書館なんかでもこっちの方が借り易そうだし。

硫黄島の星条旗
硫黄島の星条旗

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ジェイムズ ブラッドリー ロン パワーズ James Bradley Ron Powers 島田 三蔵
文藝春秋
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で、以下書評だが…、この手は嫌う人も多いかと思うので分割エントリにしとこう。ちょっとキツめの書評だし。

オレは「プロジェクトX」という番組があまり好きではない。正確には「自分の知らないネタ」を取り上げてたりすると「お話」としては結構興味深く見れるのだが、「自分が良く知ってるネタ」だと、番組の脚色っぷりがあまりに偽善的で嫌になってくる。「嘘を述べている訳ではない」って辺りがまた辛い。

amazonのカスタマーレビューにも同じ指摘があるが、この本は「栗林忠道」を主人公とした「硫黄島の闘い」を「プロジェクトX」の手法で書いた小説である。「嘘」は書いてない、感動的な文章には読める、名将「栗林忠道」が名将たる所以は理解出来る。

「栗林忠道」という人が名将である事はまず事実だろう、それを理解出来たのは良かったのだが…。

でも色んなモノが欠けてる、それ自体は別に非難しない。でもコレだけを読んで「全てを理解した」と思うのは極めて危険だ。何分昔の話だ、さらに「戦争」という非常時である。オレ自身も全てを理解しているはずもないし、恐らく「全てを正しく把握している人」すらも一人も居ない。そのような事実すらも「欠けている」と認識させていないのはマズいだろう、少なくともオレはそう思った。

オレにはこの小説は典型的日本人が持つ「太平洋戦争(「大東亜戦争」なんて単語を知っているかどうかも怪しい)に対する知識」をベースに「栗林忠道」に関心を持って調査し、それ元に仕立て上げたモノにしか読めなかった。「日本が米国に対して無謀な開戦を宣告し真珠湾に奇襲攻撃を行い」「大本営(無論親玉は「東条英機」という事しか知らない)の杜撰な戦略でジリ貧となり南方で現地人を巻き添えにして多数の犠牲者を出し」「降伏を延ばし延ばしにしたせいで沖縄を失い、二発の核を打ち込まれて慌てて無条件降伏した」というステレオタイプな思想だ。どこまでが事実でどこまでが嘘かはここでは問わない、ただこれらに対して少しでも疑問があれば、また違った内容になっていたのかと思うと残念である。

ちなみにブラッドレーの書いた「硫黄島の星条旗」は未読だが、著者本人の父親が実際に「硫黄島の闘い」に参加し生還したのにも関わらず存命中は息子にその話を一切話さず、亡くなった後に息子が残っていた記録を元に書いた代物である。コレはコレで貴重なのだろうが、「存命中は息子にその話を一切話さず」という辺りにひっかかりを感じるのはオレだけだろうか。「戦争を体験した人々は自分の体験について他人からどうのこうの言われたくない」という風潮は結構あるように思える、うちの母親がまさにソレだし。

最後に気になった辺りを箇条書きにしておく。

– この手の文章は参考文献から引っ張ってきた話に関しては引用元をはっきりさせて、作者の推測とは明確に分離するのが普通なのだが、それがほとんど行われていない。参考文献は「主要参考文献」として巻末に載っているだけで、量的にも十分には見えない(この手の本を書く人は文献量三桁いって割と普通)
– 作者の推測について、始めの方では「~だと言う説がある、だから~だと思われる」とはっきり「推測」として書かれているのに、最後の方になるにつれてどんどん自分の文章に酔ってきたのか推測と事実とが曖昧になってくる。最終的には「~と言われてる。~であったのだ」と最後に断定止めにまで進化(退化?)している
– 最初に最後の電報が大本営によって改編された旨の話があるが、元ソースが朝日新聞のみである。これをもって「朝日新聞に書いてある=大本営そのまま」とするのはちょっと乱暴。参考文献には毎日も読売も載ってるから検証は楽なはずなのに、こういう書き方をする意図が判らない。ひょっとして「新聞=事実のみ報道」という建前を著者は信じているのだろうか。
– 手持の史料と異なる部分が結構ある。それ自体は別にいいのだが(どれが本当か判らんし)、どうも「悲劇のヒーロー」として一番都合の良い説を持ってきている感じがする。例えば著者は「栗林は親米であったため東条に硫黄島に飛ばされたとする説もある」と書いてあるが、「栗林は父島へ赴任後、硫黄島を視察し即座にここが重要拠点と見抜き自ら硫黄島への指揮に当たった」とする説もある。前者は「東条に対する典型的イメージの植え付けと栗林が犠牲になった事」が強調され、後者は「栗林に先見の明があった」が強調される。
– 同様に「大本営に補給を要求したが満足に来なかった」という話が繰り返し出てきているが、実際には父島からかなりの量の補給船が出て米の潜水艦に沈没させられている。硫黄島から見れば「大本営からの補給は満足に来なかった」のは事実だが、大本営から見れば「出したけど届けられなかった」のが正解で、無論大本営にも責任はあるのだがあまりに書き方が一方的に過ぎる。
– 内地から坑道設計者を呼んだり、最終的に現地の土をうまく使って強度の高いコンクリを作れるようになったという話もあるが全部スルー。
– 栗林の最後については「他殺説」も割と有名だが、これに一切触れてない。これは信憑度も高いとは決して言えないので著者は「~という説があるが、事実とは思わない」とか自分のスタンスを貫けばいいのにそれも無い。本当に知らないなら別にいいが、知っていて書かなかったとしたらかなり狡猾ではないのか。
– 「硫黄島」は当時の日本側名称は「いおうとう」、米国側名称「IOU-JIMA」が正しい。今普通に言われてる「いおうじま」という呼称は米国の占領下から返還された後に一般に広められたに過ぎない(「大東亜戦争」と「太平洋戦争」みたいなもん)、本当に栗林(及び犠牲者一同)に敬意を表するなら「いおうとう」と正しい呼称を記述するのが筋ではないのか。
– 米国占領下の「IOU-JIMA」は核兵器の保管庫になってたり、また米海軍が「イオー・ジマ」という空母を保有(現在三代目)する事も一切記述されてない。
– 米軍はベトナムでも地下トンネル作戦(規模としてはこっちの方がずっとでかい)で散々苦しめられた挙句勝てなかったという事実があるが、これは関連して書いてもいいのではないか? とかく全体的に「米軍は悪くないよ!」みたいな雰囲気が匂う。原爆を落とした事実ですら。
– 結局「栗林が如何にして天才的な戦略を生み出すようになったか」というテーマについては全く触れてない。「この本は史科に載っている事をまとめた小説です!」とか言われれば反論のしようもないが、つまりはそういう事である。

とかく歴史というモノは語るのが難しい。上で挙げた「気になった所」がまるで的外れである可能性もあると自分で思ってる(そうだったら素直に謝ります)、そういった「語るのが難しい」テーマの中で「日本軍にもまともな人はいたよ、悲劇のヒーローだよ」みたいな書き方をされるのは…ねぇ。それは日米双方の犠牲者にとっても悲劇ではないのか。これから語り継がれる話として本当に適切なのか。

そんな訳で映画も行く気が全く無くなりました。これを読む前は両方見に行こうと思ってたんだけどね…。ちなみに姉貴には感想も言わずに返しました、正直な感想をわざわざ言うのもなんか気が引ける。

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